フォーラム - neorail.jp R16
発行:2017/9/11
更新:2020/8/26

[3541]

いま問う「災害と交通規制」(1995年9月)外一式のココロ(談)


(約19000字)

 「D-ATS-P」([3123])という固有名詞で検索なさって、をを、おぬしディープじゃのう…と思いきや、ほかの関連記事をご覧になるでもなくそれっきりという感じのかたが急に増えましたので、補足が必要かと思いました。工学部の学生のかたと高専から編入されての修士のかた、それに一般の技術者のかたを念頭にしています。そうでないかたはどうでも…いえいえいえ! そうでないかたは本件にあって「D-ATS-Pだけが気になってほかの何も見えなくなるビョー」(いわゆる技術者が落ちて落ちたとも気づかれない落とし穴)みたいなのには罹らないと思われますから安心なんです。

※技術者が落ちて落ちたとも気づかれない「落とし穴」([3138])については先述。…えっ? 「『技術者』の定義とはにわ!!」ですって? 「じぶんでじぶんが技術者だと思ったことが1度でもある」または「人から言われたことが2回以上ある」のどちらかが満たされたなら『素』で技術者なんですよ。やだなぁ。諸々の国家資格を取るかどうかというのはあとの話ですよね。ナントカ技術者の試験にうっかりパスしさえすれば技術者であるなんてとんでもない。「『素』で技術者」じゃないと、何をやっても(資格試験の勉強をいくらたくさんこなしても)あしもとがおぼつかないですよね。んだんだ。(※あくまで私見です。)

・(再掲)東京消防庁のイメージです
 http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-fucyu/images/28bfc.jpg

・消防と救急が最優先である
・消防車が近くまで入れないとあらば線路敷を消防の判断で消火活動に使うべきである
・消防の判断で消火活動を行なうとあらば警察官が発煙筒もしくは非常停止ボタンで防護を行なう(※)ところまでは自動的な流れ作業であろう
・高速道路や開けた場所なら躊躇なく発煙筒を焚けるだろうが本件現場で発煙筒というのはちょっと⇒非常停止ボタンがあるならただちに押すべきである(=このような判断を個別に行なう必要がないよう警察におかれましてマニュアル化されていそうですよね、の意)

 避難しないおばあちゃんにとれたてのトマトのほうなどすすめられながら我々…じゃなくて、「みんながんばれ」は「さくせん」じゃないっ。「ブルックスの法則など考えもせず「遅れているプロジェクトに『サポート』などと称して応援要員を追加する」」([3097])も参照するですよ!(棒読み)

[3419]
 > > 「昔の経験者が柘植にいるので、線路見学だけしてもらえればよいのではないか」

 > > 指令員は、担当する線区の線路配線はもとより、信号機の建埴位置、駅の所定停止位置と踏切道との位置等に関する十分な線路見学を実施するとともに、指令所には、関係する図表等をいつでも活用できる状態に整備することが重要である。

 > 指令機能の一元化と「十分な線路見学」を両立することの難しさがにじみます。

 > > 列車の遅延が発生したときの運転指令への報告については、運行管理装置等を活用することにより、運転指令からの呼び出しの低減の観点から効果が期待できるため、これらの装置の機能を精査した上で、運転指令と運転士間の迅速に連絡すべき事柄の整理が必要である。

 > 電力指令にあっては電流計を見れば運行状況がリアルタイムでわかった時代もあった([3149])でしょうが、現在はわからなくなっているとみられます。

 > > ※車掌が理解しやすい用語の使用など
 > > ※車掌が理解しやすい用語の使用など

※どちらかといえば道路を念頭に、円滑な消火活動のため適切な交通規制(歩行者を含む)を行なうのが警察の役割であって、その発想の延長で踏切から線路敷という…本当でしょうか。

※1つ1つは知っているのに、ニュースに接して、いちどきに関連付けて捉えることができないというのが…なんだかなぁ。いわゆる小論文のようなものを苦手とした結果、いわゆる小論文を課されない試験ばかりを選んできたようなひとが抱え続ける、かなりの弱点ではあるとの認識ではございます。

[3239]
 > なるべく必ずあわせて読んでくださいというお願いです。いまや、記事1つだけ読んで「ハンコを押すような反応!」を示すのはアレです、と、東京大学の入学式でも言及されたとかなんとか。

・(再掲)読売新聞「東大生よ、新聞を読もう…入学式で五神学長」(2016年4月12日)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/20160412-OYT1T50071.html

 > ****学長は式辞で「うわべの知識をうのみにせず、情報の洪水にのみ込まれない『知のプロフェッショナル』になってほしい」と指摘。その上で、「(略)ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身につけるべきです」と述べた。

 > ****所長(57)も来賓として出席し、「学問や実社会の最先端に立つと、予期せぬことを問題としてとらえる力が必要になる。問題や課題を見つける意識を持ってほしい」と祝辞を述べた。

[3239]
 > おお、「あわせて読む」までは言及されていませんでした。これは失礼をば。

[3082]
 > > 思えば無線工学Bって単に単位を合わせたり数字の次元を合わせることと国語力で何とか選べる設問になっているではないですか。

 > いわば「基礎的な応用力」(応用力を発揮したりのばしたりするための、分野に依存しない基礎的な学力のようなもの)がないと、いくら「専門知識」をたくさん仕入れても、どうにもならないのではないかと心配されます。こればかりは、どうやっても後年の勉強では得難い(できないとまでは決めつけられませんが、限りなく難しい)部分ではないかとも思います。

※「大村はま」については[3494]を参照。

・(先述)
 > かなり基礎的なことなので、それより後の時代に何か斬新な方法が生まれたりはしないのですよ。たぶん。

[3469]
 > 「日本人の読み書き能力調査」(数量化I類)

[3494]
 > 「数量化I類」と後に呼ばれるソレは、この調査のためにつくられたのですよ。

[3213]
 > > **さんが**商に赴任した88年に入部した**大高校監督の****さん(39)は、**さんの「野球ノート」が強く思い出に残っている。部員は輪番で毎日、課題や気づいたこと、チームの状態などを1冊のノートに書き込み、**さんに提出する。**さんがそれに丁寧に返事を書き、部員で共有する。「選手の疑問、質問に丁寧に答えてくれた。もっと色々野球について知りたい、と思うようになった」

 > 知識の規模(プログラムでいうステップ数のようなもの、マニュアルのページ数のようなもの)が十分に小さいうちは、頭の中だけで完結するほうが楽であるわけです。しかし、知識が複雑化していくためには、きちんと文字に書くことが必要となり、また、文字に書くことによってどんどん複雑化していく、一種「頭の中」という「ひと」を離れて、あたかも知識が自分で成長していくかのようなソレが、割と自然に生じてくるものだと思われましょう。

 「あわせて読む」だけでなく「じぶんのことばでノートをつけ」([3339],[3520])て「まとめ」ないとです!(棒読み)

[3417]
 > (センセイやセンパイの論文など)お手本を見ながらでいいので、じぶんのことばでじぶんの研究について書けるにじゅうぶんな基礎があることが前提です。「自分の研究内容を自分で説明するには」([3246])を参照。

 ここでいう「じぶんのことば」というのは、『ネイティブな母語!』といいましょうか(いやー、それを母語というんですけど)、(じぶんが)ことばを使うこと自体にはほとんど心理的負荷をかけずに済むということ(=その分、もっと考えるべきことを考えることができる余裕がたっぷりある状態みたいなの=)をポヤンと指しています。使うことばそのものは、あたりまえですけどほかのひとと共有されていなければ通じないのですよ。んだんだ。「じぶんのことば」ということば自体がほかのひとと共有されていなかったとはにわ…なんてこったい。「ことばはじぶんの一部です」ということですね、わかります。(※はにわは商品に含まれません。)

[3282]
 > プログラムの動きを正確にイメージできないまま、目先の命令文の記述を手先でいじるだけのようなソレ(とっかえひっかえしたら「なんとなく動いた」)では、「プログラミングができる」とはみなされません。

 > 「文法用語を駆使しながら英文を読解!」しているうちは「英語ができる」とはみなされないだろう([3061])というのとも似ています。プログラムの動きをイメージするときに、コンピューターやプログラミング言語に関する「用語」はほとんど介在せず、もっと直感的に、こう、機械式の時計のフタを開けて時計の動きを見ているかのような感覚で、しかし必ずしも具体的な(視覚的)イメージのないものもイメージしているという感覚を、みなさま、たぶんお持ちのことと思います。

 > それでは困る(他の人と共有できない)といってUML(などモデル記述のソレ[3180])が出てくるわけですが、小中学校で最初からUMLっぽい空気が提示されたらゲンナリすると思います。

・「災害と交通規制」(1995年9月)
 http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/21-2-04.pdf

 > 道路は、公共施設の一つであり、一般交通の用に供されている。道路の通行は公共施設の自由使用であるが、いわゆる反射的利益であって、国民個人に通行権を付与したものではないと解されてきた。しかし、道路管理者といえどもその通行を規制する場合には、法令上の根拠を要し、違法または不当な通行禁止または制限は許されない。これは、災害時であっても原則的に同様である。

 > 本四連絡橋岡山坂出ルート櫃石島連絡通路は、これらとは異なり、道路法上の道路としての供用開始もなされているが、その使用を緊急用車両と地元住民の車両に限定している。(略)これが現行法上許されるか否かは、検討の余地がある。